Ryuichi Sakamoto “async”
レコード棚#24
YMOや映画音楽、『音楽図鑑』などは触れたことはあったけれど、そこまで聴いてなかった坂本龍一。聴き出したのは、『coda』というドキュメンタリーを観てから。この映画は、2017年のアルバム『async』の制作過程を中心に、坂本龍一の音作りの日々を捉えた記録。この時にはすでに癌の闘病をされていたと思います。
とても印象的だったのは、音に対する姿勢。「こういう曲をつくりたい」とかそういったレベルではなく、世界にはどんな美しい音があるのか、一番純粋な音はなにか、という音そのものの次元から出発していきます。さまざまな楽器を試したり、枯れ葉を踏む音を撮りに行ったり、雨の中でバケツを頭に被ってみたり。極めつけは、南極の氷の溶ける音を特殊マイクで録音しにいったりしています。それは、世界で最もピュアな音を探しているから。ここまでくると、なんとも贅沢な遊びというか、もはやヘンテコなおじさんなんだけど、ミリオンヒットとかワールドツアーとかアカデミー賞とかを経てその地平に立っているのがやっぱりスゴイ。
この映画の冒頭で登場して、最後の方にもまた出てくるのが、「津波ピアノ」です。それはたしか福島県の学校にあったピアノで、坂本龍一本人が防護服を着てそれを弾きにいく。海水をかぶって完全に調律の狂っているピアノ。映画の冒頭では、大震災の悲惨な爪痕を思わせる、破壊された楽器として捉えられています。しかし、映画の最後では、もっと肯定的に捉えられている。もともとピアノは自然の材料に人間が力を加えてつくられたもの。木材に力をかけて曲げたり、弦をぴんと張ったり、することによってドレミと音がでる。有機物に人工的な改変を加えることで、均整な音階・音律を実現させているわけです。その均衡が津波という大自然の力によって、崩された。いわば「解放」されて、自然に還ったということ。その調律の狂った音も『async』で使用されている。”async” とは「非同期」の意味。音楽の鉄則、ハーモニー=調和をいちどバラした上での、音の探究。
津波をかぶったピアノと、音楽の同期/非同期。物理的な現実を、よく吟味して解釈する、捉え返す。そういった営みにとても興味があります。それは決して知的遊戯ではなく、科学的実際的な行為だと思うんです。
そういうワクワクもありつつ、シンプルに耳で聴いてとても美しいアルバム。特に一曲目の”andata”が寝る前にいいですね。数多の素晴らしい音楽を遺されたことは言うまでもありません。