しんしんしん 11月

いつもありがとうございます。

 『旅立つ秋』の季節になってきました。今出川通を時おり、灯油売りの車が走っているのが聴こえてきます。一度も買ったことはないし、誰かが買っているところを見た覚えもない。本当は何もなくて、ただあのメロディだけが街を走り回ってるんじゃないか。なんて思ってみたり。ともかく、使い途はないけれど、いずれ音の鳴る方を追いかけて一杯(?)だけ買ってみたいと思います。店を閉める頃には自転車のサドルが露で濡れている。そんな季節です。

 先日、某雑誌にちょこっと載せていただきました。ライターさんとはお客さんを通じて紹介いただき、割と血の通ったつながりと感じたので、ありがたくお受けしましたが、一部では驚かれもしたのです。大げさに書くと、大体こういうことを言いたかったのではないでしょうか。

ーーーちまたの雑誌は、人や場所などを「情報商品」として切り抜いて記事にし、パッケージして流通させていく。購買意欲をかき立てられた読者たちは、それらをただ「消費」するだけだ。流行っているから、、使い勝手がいいから、、写真写りがいいから、。それでいいの??ーーー

「商売だから売っていかないと」という身も蓋もない、しかし切実な答えは置いておくとして、しばしば否定的に言われる「消費」とはなんぞや、と考えてみました。辞書を繰ってみたところ、

①つかってなくすこと、後に何も残さない。安易、軽薄あるいは短絡、その場でおわり。

②目的や欲望のを遂げるための手段として使い捨てられる。

みたいな二つのニュアンスがありそうです。載せてもらった雑誌を見ると、まあ確かにそんな感じもあるが、意外に個々人の繋がりとか思い出にも重点がおかれていて、そういうところは悪くないなと思いました。

 金銭のやり取りである以上ある程度「消費」であることは免れないし、自分自身も紛れもなく「消費者」のうちの一人です。ただ完全なる「消費」だけではさびしいし、うまく距離をとっていきたい。常々「消費」をする「消費者」は、むしろ大資本や経済システムに「消費」される存在でしょう。ただし、「消費」もまた経済を回していく一つの動きであり、やっぱり経済は回っていく方がいいわけです。

 このあたりの距離感や、バランス感覚が、自分にとっては気になるところに近年なってきました。”ポップ”であることへの憧れとためらい、的な?。ともすると「売れる=薄まる」と考えがちで、そうなることもしばしばですが、「売れる」と「薄まる」の間には何かがあるはずなんですよね。たとえば、宇多田ヒカルとか(才能が突出し過ぎていて例にならないかもしれませんが)。松本隆がある側面では、詩→詞、文学的詩情から大衆の心をつかむ歌謡ポップス詞へと移行して行ったこととか。いかにメジャーになろうが、売れようが、いいものはいい。

 長々とすみません。うだうだと中途半端ではありますが、こんな感じで続けていきたいと思います。Twitterが買収されてしまったこともあり、より”ポップ”なinstagramをおそるおそる初めてみました。ご確認いただければ幸いです。

https://t.co/1iDEIFSOrq

それでは、12月もよろしくお願いします。

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