しんしんしん 七月

近況。

日によっては新しい店番がおります。どうぞよろしくお願いします。そのおかげで週に6,7日開く予定なので、めげずひるまずお越しいただければ幸いです。

先日店の郵便受けに、小説?の原稿が入っていました。深夜喫茶はこういうこともあるみたいです。心当たりはなきにしもあらずですが、無記名だったため誰のものかははっきりとはわかりません。もしかして目の前にいるお客さんの仕業かも、と思ってみると妙な緊張感が流れはじめる……。「読め」ということでしょうから読みました。本人に届くかわかりませんが、ここにざっと読んだところの感想をお伝えします。エラソーにすみません。

(個人の雑感)特に前半を面白く読みました。まず文章が安定していて、リズムもあり読みやすい。やや理屈っぽい文体に映りますが、そこが特長かなと思いました。「プロローグ」から回想録的な語り口の立場がはっきりしている(誰がいつのことをどんな風に書き記しているのかがブレない)。ラブホのシーン、アサヒとの下宿のやりとり、トカゲ医者の問答など、感じが出ていて面白かったです。コンビニのおにぎりの包装をくるりと剥がす、その拍子に「私」の認識が反転してしまう、というところとか。

気になったのは個々の場面が魅力的なのに、全体の流れやつながりが少し弱いところです。過ぎ去った恋人の想い出、アサヒとのデカダン的な交友、夏子との関係、「寄生虫」、教会での問いかけ。それぞれがどう関わっているのかうまく呑み込みづらいところがあった。これを小説と見るなら、「虫」のことがどうやら中心になってきそうなのでそこをもう少し掘り広げて背骨にするといいんじゃないか。そう考えてみたのですが、投函された紙束には別に「小説」と書いてあるわけでもないし、無粋なことを言っている気もします。

「一見するとあの奇異な一週間の出来事と無関係にも思える、夏の夜の思い出に言及しなければならないのか、それを私は言葉で説明することができない。ただ、一つ言えるのは、この二つの記憶が私のなかで連想ゲームのように、いつもつながっているということだ」

とプロローグに記されていますから。これがいわゆる物語小説ではなくて、ただ記憶を辿っていく文章の連なり、であるなら、そこに筋の通ったつながりは必要ないはず(夢や連想が突拍子もないのは自然だから)。ただやはり、ここで「私」に向かってくる一連の問い、愛をめぐる後悔、自分は自分ではないのではないかという懐疑、神の存在、そういったテーマが筆者の中では一貫してつながっているはずなのに、その連関がこちらにうまく伝わってこないのはやや消化不良ぎみに感じました。これは完成稿というより初稿という感じがしたので、今後書き直されていくなら楽しみです。

(「私」以外の人物をもう少し生き生きと描いてほしかった、特に女性が定型的な印象を受けたと評した人もいました)

「言葉で説明することができない」何かが伝わってしまうなら、それが最大の果実なのかもしれない。(ちょっとありきたりだけど)そんなことも考えさせてもらいました。

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