多和田葉子『百年の散歩』-奇異茶店とエアコン工事のことなど

本棚#1

 店を開く直前の時期に、表紙に惹かれて買ったように記憶しています。店についていたエアコンがかなりの年代物でどうにも使い物にならないということでした。それで、やたら巨大な古い遺物を撤去して新しいエアコンを設置する、しかもそれに加えて屋上についているという室外機も交換するため大はしごとクレーン車まで手配するという比較的大きな工事をすることになりました。その工事の際、店内にいても仕方がないので日向ぼっこでもしながら本を読んで時間を潰すことにしました。たぶん2月くらいでセーターを着込んでいましたが、階段に座ると陽光が温かったのを覚えています。

 前置きが長なりましたが、その時に手にしていたのがこの『百年の散歩』です。

 読みはじめるといきなり、次の文章が目に飛び込んできてびっくりしました。

  わたしは、黒い奇異茶店で、喫茶店でその人を待っていた。カント通りにある店だった。

 その時、開店準備を進めていててこれから店をやっていこうかという時期に自分がこの文にぶち当たったのは天啓か導きか何かに思われて、「これから自分は奇異茶店をつくらなければなるまい」と直感しました。クレーン車を見上げて目眩がしたせいで、そんな大袈裟な気分になったのか。

 「喫茶店」が「奇異茶店」になるのは、単なる気をてらった言葉遊びではないと思います。多和田葉子にとっては、言葉はひとりでに転がったりこぼれたり、跳んだり切れたりつながったりするものなのです。こんな記述もあります。

 「ベルリンの壁がなくなって四分の一世紀がたってしまったのに、まだ壁にもたれようとする背中には学習能力が欠けているのか、もたれようとして後ろに傾き、壁がないのでもんどりうって、東の世界に転がり込む。あこがれの、焦がれの、焦げついた、じりじり燃える、燃えつきた、熱い、輝くポーランドへ、ベラルーシへ、チェコへ、ロシアへ。」

 この小説の舞台は作者も住んでいるベルリン。ドイツ語でも作品を発表している多和田にとって、日本語とドイツ語とのズレは常に意識されているテーマのはず。その二つだけではなく、フランス語、イスラエル・カフェ、ソ連の記念碑、アメリカ兵士、幽霊の声。それから「カール・マルクス通り」「マヤコフスキーリング」など各章のタイトルにもある通り、ベルリンの地名に既に刻み込まれている偉人の名前、街に浮かび上がる文豪たちの作品。複雑に絡み積み重なっている歴史や政治の諸層。あらゆる言葉が静かにあふれ出し摩擦音を立てながら混じり合っている。それを拾い集めるような散歩によって、不思議な独自の言語空間が創られています。文学が既存の固定化された言語を解体し新たなものへと「更新」するものだとすれば、多和田葉子には大きな強みがあると思います。

 この作品は特異な言語感覚が目立ちますが、「喫茶店でその人を待っていた」という「その人」にまつわる切ない心情、孤独がもう一つテーマとして貫かれています。読まれた方は感想を教えてください。

 ちなみに新しいエアコンはよくあるかまぼこ型ではなく、横から見るとナイフの先のように上の方が突き出すようにカーブを描いているのです(上手く言えないので見に来てください)。それで、ジンベイザメみたいだといつも思っています。

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