青葉市子『マホロボシヤ』–アコシャンのママことなど
数年前、一乗寺の音楽フェスで初めて生の青葉市子を聴くことができた。サインはその時にいただいたもの。修学院の「Beer&Wine Bar akoshan」でのライブでした。はっきり言って、すごい体験だった。店の中に音が溢れて満ち満ちている感覚を覚えた。ひとりの人間と、一本のギターでこんなことがあり得るのかとびっくりした。本当に音楽が魔法だった。これが本物なんだと戦慄した。こういうことはそう簡単にはないのではないだろうか。音楽家の状態と、場所の持っている磁力と、季節と天気と聴衆の息遣いとその他巡り合わせたものが導かれたように美しく重なるとき、何か特別な瞬間が生まれる。
アコシャンという場所が引き出したところも大きいのではないでしょうか。修学院の路地を抜けて、叡山電鉄の線路の目の前に建っているお店で、開業から50年になるそう。清志郎に首ったけのママはいつも快活で、とてもよくしてくださる。ママ曰く、はっぴいえんどの「抱きしめたい」に出てくる「浮かぶ駅の沈むホームに」というのはこの店から見える風景なのではないかと。ここで気持ちよく酔うと、そんな気がしてくる。時おり電車の音がガタゴト聴こえるこの店。そういえば確か、ライブの時に青葉市子さんは「山下澄人さんの小説に出てくる喫茶店に似ているなと思って、嬉しくなった」と言っていた。こんど本の頁の中で見つけたい。
この『マホロボシヤ』に入っている曲についてもMCで話されていた。あるとき夢に女の子が出てきて「とりはうみへ さかなはそらへ おかえりなさいな」と言ったことがあった(うろ覚えでごめんなさい)。それが「ゆめしぐれ」という曲になった。他にも「太陽さん」は躍ってばかりの国の下津さんを歌った曲だとか。
飾っていることが多かったけれど、また夜な夜なこのレコードを掛けたいと思う。